横須賀市の教員は、過労死しても労災にならないかもしれない。

 3/10の市議会・教育福祉常任委員会で、私は教員の労働時間と部活に関して質疑をしました。これに対する教育長の発言を世に問いたいので、記事に書いておきます。なお、全てのやり取りは中継録画でご確認頂けます(3時間50分45秒あたりから)。



 →横須賀市議会会議録2022年3月10日教育福祉常任委員会



 今回、最も問題だと感じたのは、私が「労働時間を把握していなければ、過労死が疑われる事案が発生した場合に根拠がないのではないか」と問うたところ、教育長が次のように答弁したことです。



「基本的に、まあ訴えられるのは最終的には神奈川県ですから。」



 教員は県が採用した公務員ですから、書類上はそうなるのでしょう。しかし、実際には市教育委員会の監督の下、校長の管理下で働いていますから、市立学校の教員の労務管理に市教育委員会が責任を負わない、などという言い草は世論が許さないでしょう。無責任ですし、もはや「失言」だと思います。



 「市が労働時間を把握していない」というのはどういうことか?



 『横須賀スクールスマイルプラン』という「教職員の働き方改革の方針」があります。この2019年2月版で「超過勤務時間」「時間外勤務時間」と呼んでいたものが、2022年3月版では「時間外在校等時間」と言い換えられました。つまり、かつては残業として扱っていたのに、「教員は、ただ学校にいただけであって、仕事をしていたとは限らない」として、「超過勤務」「時間外勤務」とは見なさないことにしたわけです。事実、教育長はそれに先立って「もともと教職員は時間外の認定がないので、時間外労働が100時間あったというふうには、いま判断はしていない」とも議会答弁しています。ただし、民間なら「会社滞在時間」という言い逃れは通用しないはずです。



 これが何を意味するか? おそらく、教員が過労死したりメンタルを病んだりしても、「残業の記録はない。よって、死亡や病気と労働時間の因果関係はわからない。わからない以上、責任も負えない」として片付けられる可能性が高いということです。



 自分たちを守ってくれないボスの下で、教員が身を粉にして働くのはリスクだと思います。教員のみなさんは、責任感が強すぎるので「子どもたちのために」と思って歯を食いしばって自分を犠牲にしています。



 自己犠牲は、どこかにムリが来ます。私も、かつて過労うつになるまで働きましたが、ようやくわかったのは、ムリをすれば自分も壊れ、人間関係も壊れ、組織も壊れるということです。つまり、教員の自己犠牲は、巡り巡って職場の空気を悪くするだけでなく、生徒への接し方に影響が出かねないということです。おそらく、既に出ているからこそ、横須賀市の状況はこうなんじゃないかと見ています。



 いいかげんに、昭和のままの脳味噌と組織風土に、令和の人権意識をインストールし直さなければならない。私は、そう思って焦っています。最後に、2022年3月24日の本会議で行った討論の内容を貼り付けておきます。



 また、この間の私と加藤ゆうすけ議員の議論の基礎となっている教育委員会の資料も併せて共有しておきます。





   ~   ~   ~



 数年前、私も面識のあった或る職員が突然亡くなりました。多忙な部署で期限のあるプロジェクトの担当として働いていたので過労死を疑いましたが、病死として扱われたようです。真実は、私にはわかりませんが本人もご家族もさぞや無念だったろうと思いました。
 いずれにしても、誰かのために誰かが犠牲になる社会は貧しい、と私は思いますし、自己犠牲が尊いとされるような文化は先進国ではないと思います。私は、自分が過労うつになりかけたとき、「まず自分のコップを水でいっぱいにしなさい。水があふれたら、他の人のコップも満たしてあげなさい」と教わりました。今も大事にしている言葉です。ですから私は「市民を幸せにしたい」と思うのであれば、まず職員が幸せでなければならない、と考えます。
 「人はパンのみにて生くるものにあらず」と言います。日本流に解釈すれば、経済面だけでなく、心の豊かさも大切ということです。要するに、残業をたくさんしても、その分、残業代をたくさん払えばいいのだ、というものではありません。
 労働基準法第1条では、「労働条件は、労働者が人たるに値する生活を営むための必要を充たすべきものでなければならない」と定めています。そして、人間らしい生活を送るための最低限の基準として、1日8時間以内、週40時間以内という制限を設けています。ただし、同法第36条では労働組合との協定により時間外労働を可能としており、いわゆる三六協定と呼ばれますが、それでも残業は月に45時間、年間360時間が上限です。
 ですから、1か月の残業時間が200時間以上という働かせ方は、民間ならば明白に法令違反です。「民間ならば」と申し上げたのは、地方公務員には労働基準法の労働時間規制は適用されないと解釈されているようだからです。とはいえ、CSRと同様に行政の社会的責任もあるはずです。法が適用されないとはいえ、労働基準法の精神は守るべきですし、むしろ行政は民間の模範となるべき立場のはずです。SDGsも大事ですが、フワフワした目標を掲げる前に、まず足元を見てごらんなさい、と、いつも感じています。



 るる述べましたが、以上の観点から、議案第20号・令和4年度横須賀市一般会計予算については、反対することにしました。
 予算については、38万人の市民全員が納得する予算というものはあり得ません。人間はそれぞれに優先順位の考え方が異なります。その代理人として選ばれている議員も同様です。私も、この予算案については不満もありましたが、議会の質疑などを通じて、市長も職員も民意を汲み取ろうと努力した跡が伺え、これまでよりも好ましい方向に向かう予算案だと考えていましたので、当初は賛成するつもりでいました。
 しかし、この間の市長と教育長の答弁を思い返すと、看過できない発言がいくつかありましたので、予算執行に不安を覚えます。ですから、警鐘を鳴らすためにあえて反対することとしました。
 看過できない発言というのは、2月25日の市長の次のような答弁です。
「人生で一度くらい月200時間働いたって」
「一生に一度あったって」
「危急存亡のときには当たり前」
「仕方がない」



 また、教育長の次のような答弁です。
「もともと教職員は時間外の認定がないので、時間外労働が100時間あったというふうには、いま判断はしていない」
 また、私から、労働時間を把握してなければ過労死が疑われる事案が発生した場合に判断する根拠がないのではないか、と問うたところ、教育長は次のようにも答弁されました。
「基本的に、まあ訴えられるのは最終的には神奈川県ですから」
 これらの発言は、令和の時代においては、「失言」と言って差し支えないでしょう。我々のような昭和のオジサンは、学び直しをし続けないと、どんどん恐竜になっていきます。日本の時代遅れの地方議会を揶揄して、「ジュラシック・パーク」と呼ぶ人もいるほどです。
 冗談はさておき、これらの発言は、職員の命を守るべき行政トップのマネジメント意識の水準を如実に表していると私は読み取りました。
 市長部局の正規職員、約3,300名中、本年1月時点で20名がメンタルヘルスの問題で休職しています。また、市立学校の教職員の場合、2020年度の事務概要では約2,200名中21名が病気等で休職しています。その大半はメンタルヘルスが理由だそうです。実に100人に1人が心を病んでしまっているということです。
 私たちはよく考えなければなりません。
 時間外労働が月100時間を超えるかどうか、また月80時間以上が続くかどうかは、「過労死ライン」と呼ばれます。労務マネジメントの観点では、「過労死ライン」を超えた残業には2つのリスクがあります。
 第1に、公務災害にあたり、遺族から損害賠償請求で訴えられるリスクがあるということです。当然ながら、本市としては訴訟リスクを避けるべきです。
 第2に、何よりも重要なことは、命の問題だということです。人生で一度くらい、「過労死ライン」を超えて働いても大半の場合は死なないでしょう。でも、亡くなるかもしれない。亡くなるリスクが高まる閾値・しきい値として、「過労死ライン」が設定されているのであれば、それを守ろうと努めるべきです。トップが「一度くらい」とか「仕方ない」などと言うことは慎むべきです。「これは命にかかわることなのだ。コロナ対応があるとは言っても、もはや新しい日常となっており、職員の命を天秤にかけてまで何かをしなければならない非常事態ではないのだ。むしろ、職員をこんなに働かせていること自体が非常事態なのだ」。予算執行にあたっては、改めて、こうした認識を新たにして頂く必要があると私は考えます。



※写真提供:ぱくたそ

Twitterでフォローしよう

おすすめの記事