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 11/8~11/11の行程で議会の総務常任委員会として視察に伺った。



 私からは3点の項目について提案していたが、他の議員からも多くの提案があり、全員一致で正副委員長に一任した。なお、私の提案は採用されなかったが、それ自体には文句はない。



 しかし、今になって振り返って思えば、正副委員長に一任したのは間違いだった。正副委員長の選んだ視察先が悪かったという意味ではない。視察先ではなく、視察に行く我々の意思決定プロセスと態度が悪かったという意味だ。自分も含めて。



 一任して議論をしなかった結果、(1)何のために、(2)個人ではなく委員会として、(3)泊りがけで遠方に、視察をする必要があるのか? この点について合意形成ができていなかった。その結果、はっきり言って今回の視察はグダグダだった。視察を受け入れて下さった先方にも失礼だし、税金から視察費用を与えて下さった市民にも申し訳ない視察となってしまったと私は考えている。



●観光気分で視察に行くな。



 ある視察先においては、視察を終えて先方を辞するやいなや「うちのまちには必要なし!」と言い切る議員さえいた。だったら、そもそも視察に行く必要がなかったのではないか。興味や関心がないだろうことは過去の質疑等の態度で察してはいたが、「なぜ自分は不要だと思うような事業を、このまちでは実施しているのか?」という疑問を謙虚に持って自分の知識や考え方をいったん客体化しようとは考えないのだろうか。



 我々は誰もが少数派でしかなく、突き詰めれば自分と政策や考え方が同じ人は世界中で唯一人、自分しかいない。なのに、「自分は多数派の一員だ」という共同幻想を持ち、自分の考えと違うものは少数派のたわ言と信じて切り捨てる人がいる。残念ながら、我が市議会にもいたわけだ。いずれにしても、先方にはわざわざ時間を割いて頂き、事前の調整や準備もして頂いて成立している視察だ。提案した議員と一緒くたに視察先をも一刀両断する不遜さを見ていると、「だったら最初から正副委員長に一任するなよ」と独りごちたくもなる。



 さらに、長崎市においては、観光気分で視察している議員がいるのには参った。確かに、観光政策の観点から「まちぶらプロジェクト」を視察したわけなので、観光客の気持ちになって見てみることも必要だと思う。だが、長崎市のご担当者がわざわざ半日割いて下さって地声を張り上げて説明してくれているのに、それを聞かずに議員同士でおしゃべりしていて何がわかるというのか。私も思わず「観光に来てるんじゃないんだからさ!」と怒鳴ってしまって先方から苦笑されたが、本当に市民代表として恥ずかしいと思う。



 「なんだか、この人たちと一緒にいたくないな」という気持ちもあって、私は先に切符だけもらって途中の移動を別行動しながらオンライン研修を受けたりしていたところ、終わってから委員長と議長からお叱りを受けた。それについて、言い訳をするつもりはないし、和を乱したのは間違いないと思う。しかし、もっと本質的な話として、視察先では先方の話をきちんと聞くのが当たり前じゃないのだろうかとも思う。



●視察は、本当は必要だ。



 ただでさえ、特に観光地の自治体では視察内容が目的ではなく旅行気分で来る議員への対応に忙しいなか時間を取られて苦々しく思っているケースも多く、視察の受入れを断られることも増えているのだ。こんなことをしていたら、また世間から「議員の視察なんか物見遊山だ」「だから海外や県外の視察など中止すべきだ」と言われて、本当に必要な視察すらできなくなってしまう。私は、視察は大事だと考える人間だ。情報には価値がある。我々、横須賀市議会は市民に代わって、連結で3000億円以上の横須賀市の予算を最終決定する立場だ。



 こういう言い方は誤解を生むかもしれないが、数十万円の視察で判断材料を得て数億円のお金を浮かせるなら安いものだ。たとえば、私は故山城議員・一柳元議員・藤野議員と4人で政務活動費を数万円ずつ出し合って勉強した内容を基に電力調達を見直すよう提案し、協力して年間4000万円の歳出削減につなげた経験がある。



 あるいは、同じお金でも、より効果が出るよう活きたカネにするコツを知っていれば全然違ってくる。たとえば、指定管理者制度で運用しているソレイユの丘も、かつてはひどい金食い虫だったが、大阪城公園を委員会視察して「稼ぐ公共施設」のあり方について一定の認識を共通して持てたことで、その後の指定管理者選定の過程で大きな意味があった、と私は感じている。



 視察は、足を運んで現地を見て担当者との生の意見交換をするからこそ、得られる情報量が違ったりする。たとえば、尼崎市の下水事業を視察した際に何故こんなに安く済むのか考えつつ道すがら街が平地であることを見て納得したり、施設を見て歩きながら担当者にそれとなく聞いたことでホンネをポロっと引き出せたということがある。



●委員会視察はこう改善しよう



 いずれにしても、何のために視察があるのか、委員会視察があるのか、よく考えずに惰性で視察に行くとこういうことになる。「コロナも収まってきたし、やっと県外に視察に行かれるわ~」とばかりに喜び勇んで出かけたような軽薄さへの恥ずかしさを味わって帰ってきた。



 ただし、文句を言うだけなら子供でもできる。今後は、委員会視察のあり方を見直すよう提案するつもりだ。



 そもそも委員会視察は、議会としての政策づくりの参考とするために政策分野ごとの委員会で実施しているものなのだと考えている。ならば、従来の「各委員のその時点の関心事を挙げてその中から絞り込んで予算範囲の3日以内で3つぐらい行ってるよね、例年」という方式ではダメだ。回り始めた「政策形成サイクル」と連動させ、各委員が共通認識を持っている政策課題について、まず横須賀市の現状と他市の実践の差異を洗い出したうえで、視察の狙いや項目を議員間討議の中から論点を固め、そのうえで実施するべきだろう。



 この観点では、我々は成功事例を持っている。中学校給食の導入に関する特別委員会で視察を行った際のことだ。私が当初は予定になかった委員会視察を提案したところ、惰性ではなく全ての委員が「何のために、どんな件について、どういう視点で視察をすべきか、あるいは不要なのか」という議員間討議をしっかり行って下さって、そのうえで市内の方式の異なる複数の小学校と西東京市を視察した。まず自らを知って、他者を知るから、学びも深くなる。こういう視察は有意義だ。視察から帰ってきた後の特別委員会でも、たびたび視察が引き合いに出された。  せっかくの委員会視察。市民のためにも実りあるものに変えたい。

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